東海道関宿
(とうかいどうせきじゅく)東海道五十三次で江戸から数えて47番目の宿場町である関宿。
江戸時代の街並みを色濃く残していて、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
- [ 所在地 ]
- 三重県亀山市関町中町
- [ 電車、バスでのアクセス ]
- JR関駅より徒歩約5分
- [ 車でのアクセス ]
- 名阪国道関ICより約5分
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保存された江戸の宿場町
東追分(ひがしおいわけ:木崎)から西追分(にしおいわけ:新所)までの約1.8㎞の道のりに、本陣、脇本陣、旅籠、問屋場などの建物が並び、西の追分からは大和街道が、東の追分からは伊勢別街道がそれぞれ分岐していたため、関宿は参勤交代や伊勢参りの人びとで賑わいを見せるようになりました。
東海道は⽇本の基幹交通として発展を続け、多くの宿場町は近代化にともなって様変わりしましたが、関宿には今でも江戸から明治期にかけての町屋が200軒以上残されていて、江戸時代の雰囲気をそのまま感じることができます。
関宿の街中に、小さな公園である「百六里庭」がありますが、ここにある「眺関亭」という建物の2階からは、関宿の街並みが一望できます。
江戸時代の宿の資料館
「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と謡われたほど大旅籠だった玉屋が、現在では、資料館として保存されています。
江戸時代の貴重な旅籠建築はそのままに、その当時の道具や旅の資料などが展示され、当時人々がどのように旅籠で過ごしたかを伺い知ることができます。
庭の奥にある蔵では、歌川広重が描いた東海道五十三次の浮世絵をみることができます。
江戸時代からの銘菓
関宿では、江戸時代に旅人が口にした銘菓が今もなお引き継がれています。
江戸時代寛永年間より作り続けられている「関の戸」は、京都の御室御所まで運ばれたと言われています。
また、「志ら玉に旅はるかなる宿場まち」と詩にも詠まれ旅人がお茶うけとして一服のお供にしていた団子餅が、「志ら玉」として復活され、名物になっています。